2001年10月26日(金) 天気 : 晴れ

写経

拝観するのに写経がセットになっているあるお寺に取材に行った。
目的は庭園の撮影なのだが、それでもちゃんと申し込んで拝観という形で行ってほしいという。送られてきた拝観案内には、写経のために細筆を持参せよとあった。

僕は、きわめて憂鬱だった。けれども仕事とあらば仕方ない。
よく考えたらずいぶん前、ペンで字が書けなくなった時に、リハビリには毛筆がよいと言われて書道の通信講座を申し込んだことがあった。一度も送らずに挫折したが、その時に揃えた筆が残っていた。10年ほど放ったらかしだが、さすがに伝統的なものだけに、底がはがれたこの前の靴のようなことはないだろう。

お寺に行って取材の旨を話すと、編集側からの連絡もあって先方は心得ていた。
「人のいないお庭がよければ、写経の間に写されていいですよ。写経はおうちでゆっくりしていただいて、あとで送ってくださればいいですし」
「え? そうさせていただけるととっても助かります!」
ラッキーだった。さっそく庭に入って撮影した。でも庭の写真は難しかった。

で、家に帰ってきてさてこの写経をどうするか。用も済んだことだし、無視してしまってもいいのだが、せっかくだからやってみることにした。幸か不幸か、墨も硯も筆もある。
実に久しぶりに墨をすった。あまり時間がないから薄かったが、とにかく薄く印刷された「般若心経」をなぞっていった。279文字だっけ。しかしまあ、見ればみるほど、実に下手くそだ。情けない。
けど、この写経に2時間もかかってしまったから、取材の時に写経をしていたら、きっと撮影の時間はなかっただろうな。

そして、書きながら気がついた。字は手で書くのでなくて、腕で書くべきかと。手に力が入ると震える。手の力を抜いて、腕を動かすような気持ちで書くと、下手なことに変わりはないが、なんだか楽に書ける気がした。「腕前」とはよく言ったものだと妙に感心。
それにしても、せめて自分の名前くらいは毛筆できれいに書きたいものだと思う。