[エッセー 1998.1]

小国文男

野寺夕子の不思議な世界

春の布団
野寺夕子『春の布団』
法政出版1997年

 ライターでもありカメラマンでもある野寺夕子さんから、年末に1冊の本をいただいた。写真詩集『春の布団』(法政出版)がそれで、97年11月30日に初版が発行されたばかりだ。彼女が朝日新聞の夕刊で連載していたものが収められている。
 野寺さんとは昨年、雑誌の対談の取材で会ったのが初めてだが、偶然にも同い年だった。その同い年がどんどん出版しているのは、ハッキリ言ってうらやましい。僕など「本にしたらどうか」なんて誰にも声をかけられず、もちろん自分から持ち込むような作品もない。
 どうせくれるのならサインくらいしてよね、と思いながらページをめくった。ぜいたくな本だ。
 A5版変形の小ぶりな紙面をほぼ三分割した下段に1行14字で平体をかけた文字が並んでいる。ひとつの作品は4ページの構成だ。そのうちの1ページに見出しが大きく入り、もう1ページの上の3分の2に写真が1点ドカッと入っている。で、残る2ページは上の3分の2が白なのだ。
 うーむ、これは組版料の割がよいではないか、とまずはDTPオペレーターの目で見てしまう。
 詩を読み進むと、これまで秘して誰にも話さなかったようなこともつい話してしまいたくなるような、不思議な世界にひきずり込まれていく。
 たとえば「おしっこたれ」という作品。
 7歳の彼女(?)は、授業中に「おしっこいっていいですか」が言えずに必死で我慢をする。しかし……。

ほんの少しだけと筋肉緩めたら
途中では止められなかった
皆に気づかれないように
身を固くしながら
少しずつ少しずつ出していく
敷いていた座布団を通し
古い木のイスの細い合間から
糸のように滴っていくさまが
見えるようだった
……

 まあ女性も40歳に近くなるとこうも恥じらいがなくなるものかねえ、と思う一方で、「いやいや、そういうのってあんただけじゃないよ」と30年ほど前の自分を思い出す。しかも「あんたはオシッコだからまだいいけど、僕はウンコだぞ。どうだ、まいったか」てな調子だ。
 僕もたぶん7歳くらいだっただろう。とにかく小学校1年か2年の時だった。
「先生、ウンコ」と言ったまではよかったが、田舎の小学校の汲み取り式のトイレは便器のすぐそこまでモノが満杯。で、尻込みしているうちに時間切れ……、という次第だった。
 引用はしなかったが、実はその後がまた似ている。仕方がないから僕はそのまま教室に戻ったわけだが、歩くあとにウンコが転々としているのだ。イスに座ったらイスにもついている。教室の中は「臭い」とザワザワし、先生は何も言わずに拭き取ってくれたが、そこに友だちが寄ってきて「誰だろうね」。まったく、とぼけるしかなかった。
 まだあるぞ。あんたは7歳のときだけだったかもしれないが、僕は小学校5年か6年のときもなのだ。
 あれは登校途中だった。あと50mで学校に着くというところで力尽きたのだ。このときはトイレで自分でふき取って、風邪を引いたからとウソをついて体育を休んで……。外見では分からないけど、やっぱり臭かっただろうなと今でも思う。
 で、あれって一生懸命ふいても全部は取れなくて、多少はパンツについている。それが午後になったらパリパリになっておしりが擦れる。痛かった。
 まだあるぞ。しかもこれは、なんとわずか数年前のことだ。
 車で走っていてもよおした。喫茶店にでも入ろうと思ったら、間が悪くてなかなかない。やっと見つけて車を降りたら休み。ギリギリの段階でようやく準備中のレストランを見つけて入ったが、誰もいない。勝手にトイレに入ろうと思ったら、どこにトイレがあるのか分からない。一瞬、プリッとした感覚。万事休すか。いやまだ大丈夫。僕は叫んだ。
「すいませーん。トイレ貸してくださぁーい」
 あきれたように顔を出した店の主は、しかし珍訪者の血相を見て少しあわてた。
「ど、どうぞ」
「どこですかぁー!? トイレぇ!」
「あ、あっち……」
 地獄で仏とは、まさにこれを言うのだと思ったものだ。もう走るにも走れない状態で、たどり着いた目の前のドアが極楽に見えた。最悪の事態はまぬがれたが、やっぱりちょっとチビッていた。
 帰り際にお礼の言葉をかけたが、店の主はもう顔を見せなかった。
 名誉のために書き加えれば、彼女の本はもちろん内容も文章もこんなに臭くはない。推敲を重ね洗練された文だ。だからこそなのだろう。読めばあなたも、きっとどこかに共感する。そして、自分の秘話の一つや二つを、思わず吐露したくなるのだ。

※『春の布団』は法政出版刊、A5版変形64ページ、定価1,100円+税。

(記/1998.1)

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