[エッセー 1998.7]

小国文男

おとうさん、作品集を作ろうよ

 娘が0歳から小学校入学まで通った保育園で、その6年間をずっといっしょだった友だちは数人しかいない。そのうちの一人のおとうさんが、ガンでもう数日の命かもしれない、という知らせを受け取ったのは、一昨日のことだった。おとうさんは晩婚だったから僕より10歳ほど先輩だが、それでもまだ50歳前という若さだ。なんということだ。
 おとうさんのお宅には、おかあさんが世話好きだったこともあり、ときどき家族でおじゃました。とりわけ秋のお祭りには保育園仲間が寄るのが恒例になって、卒園してからも年に1度の再開を楽しみにしていた。
 おとうさんは友禅の染色作家で、ちょっと古い一軒家の一角に細長い仕事場をしつらえて、そこで仕事をしていた。何度か作品展で入賞したとかで、その作品の載ったチラシを見せてもらったのもその仕事場だった。またそこは、祭りに寄った皆が鍋をつつく場にもなったし、僕が飲み過ぎて寝てしまったのもその仕事場だった。
 そうかと思えば、ちょっと骨董趣味もあったのだろうか、居間にはデンと角火鉢がすえられていた。灰も炭も入っていないその火鉢は、ガラスでフタをしてテーブルの代わりだった。みんなが寄れば、その上に置いた鍋を前に、おとうさんは鍋奉行だったことも少なくない。
 ビールが好きで、毎晩飲んでいたという。おかあさんに言わせれば、「飲まへんかったら全然元気がないんやもん。そんなんやったら飲んでハッキリしい、て言うんやわ」とか。するとおとうさんは、「この人もう、こおうてこおうて(怖くて怖くて)」と笑った。その顔が僕には忘れられない。
 このおかあさんは偶然にも僕と同級生で、顔立ちがちょっと由美かおるに似ている。あるときわが家に家族で来たときに僕がそう言ったら、そんなおばさんと違う、とでも言いたげに彼女はムッとしていた。女房が「それは誉めてるんやわ」と助け船を出したので、僕はなんとか恨まれずにすんだようだった。
作品 僕が事務所で横になっていてふと、おとうさんの作品集を作ったらどうだろうか、と思ったのは去年のことだった。
 実はわが家が引っ越したとき、おとうさんから祝いにとひとつの額をプレゼントされた。清流に二匹のイワナが泳ぐその作品はいま、僕の事務所の壁にかかっている。それがとても素敵だったのが、作品集という発想に結びついたわけだ。もうひとつ、自費出版の本の組版もいくつか引き受けていたから、そういう仕事が自分でもコーディネートできないだろうか、という気持ちも少なからずあったのだが。
 おとうさんがガンだと聞いたのは、その直後だった。僕はビックリしてその作品集の話を言い出せなくなった。僕が、おとうさんが死と直面しているから作品集を作ろう、と考えているとは思われたくなかったし、もちろん実際とも違うからだ。
 入院して手術するという直前に、僕はマンガの本を何冊か買い込んで、病院におとうさんを見舞った。入院中はマンガでも読んでいるのが一番気楽だという僕の経験からのことだったが、おとうさんは自分の病気を知っているのか知らないのか、普段と変わらず元気そうに見えた。
 もちろん僕はそのとき、作品集がどうのこうのとは言えなかった。余命1年ほど、と聞いてはいても信じられない、信じたくなかった。
 しかし、そうなった以上は生きている間に作らなければ意味がない。遺稿集なんか作りたくない。僕はそう思った。人づてにおかあさんの耳に入ったらしく、おかあさんは作品集に乗り気のようだという話を伝え聞いた。
 はじめて、おとうさんのいない祭りの日のお宅に訪ねた日、僕は“由美かおる”を前に「作品集を作ろうよ」と話していた。おかしかったのは、彼女が“由美かおる”を覚えていて、まんざらでもなさそうにしていたことだった。
 その後、作品にちょっとしたコピーを添えてカラーで製本したらどれくらいになるか、と知り合いの自費出版センターに見積もりをしてもらった。
 そんな頃、おとうさんの手術が成功したという話を伝え聞いた。しばらくして退院したとも聞いた。先の見積もりができたのでそれを伝えたら、おかあさんは「お金がないからいいわ」と断った。作品集の話はボツになった。
 でも僕は、それでいいと思った。おかあさんの声が元気そうだったからだ。ひょっとしたら、死ぬかもしれないということで作品集に傾いたのかもしれなかったし、それを断るのは、先の希望をおかあさん自身が見出したからかもしれないと思ったからだ。そして僕も、ひょっとしたら大丈夫かもしれないと思ったのだった。
 これが半年前のことだった。
 その後も何度か家の近くを通ったことがあり、その度に寄っておとうさんの顔を見ようと思いつつ、また今度でもいいか、の繰り返しで今日に至ってしまった。再発したらしいという話ももれ聞こえてきたが、僕は楽観していたのだ。
 そして一昨日の知らせだ。愕然として、どうしてもっと早く顔を見に寄れなかったのか、と僕は強烈に後悔している。
 そのくせ僕は、見舞いに行ったものかどうかを躊躇している。おとうさんにはもう意識がないという。行ったところで何の力になることもできない。実際のところどうしたらいいのかわからないのだ。
 だけどおとうさん、僕はあんたに伝えたいことがあるんだ。たぶん見舞いに行ったって僕は言えないだろうし、あんたも聞こえないだろう。だけどまだ命がある間じゃないとダメだから、僕はここで言うことにしたんだ。
 おとうさん、あんたの作品集を作ろうよ。それにはおとうさん、あんたが作品を選ばなくちゃダメだよ。僕にはわからないんだから。嫁さんだってわからないんだ。そして僕は、おとうさんと一緒に作りたいんだ。もっと生きて、おとうさん、あんたの作品集を作ろうよ。

(記/1998.7.24)

※これを書いた翌日、おとうさんが亡くなったという知らせが届いた。7月24日の夜のことだったという。勝手に書いた拙いものだが、この作品を故井花真一氏とその愛妻の井花美也子さんに捧げる。


][