[エッセー 1998.12]

小国文男

なつかしい忘年会

「突然ですが、明日入籍することになりました」
 スピーチでこんなおめでたい話が飛びだした。
「えー、誰とや?」
「○○さんとです。あれー、□□さんに話したからもうみんなに広がってるものとばかり思ってたのに」
「えー、知らんかった」
「私、知ってた。早く結婚しいて言うてたんやわ」
 あちこちでそんな声があがる。彼女はやがて現れた新郎氏とともに前に引っぱり出された。
「♪口づけせよとはやし立て、口づけせよとはやし立て……」
 まさにみんなにはやし立てられ、彼からそっと頬にキスをされた彼女はとてもうれしそうだった。
 その日僕は、縁あって神戸のある合唱団の忘年会に参加していた。
 この合唱団の創立35周年記念出版の仕事で、僕は9月から何度か神戸通いをしている。この日は、原稿を受け取るのが主目的だった。締め切りはとうに過ぎているのに、忙しい合唱団活動のために、原稿は遅れに遅れていたのだ。実は3日前にも同様の目的でやってきたのだが、いくつかの資料を受け取っただけで、結局はみなさんと一杯飲んで終わった。
「君、ミイラ取りがミイラになってへんか」
 出版社の担当者からは、こう皮肉られたものだ。で、この日はなんとしても受け取ろうと出かけたわけだが、それが忘年会の日だったというわけだ。
「はーい、では演奏教育部のみなさんによる出し物で〜す」
 合唱団事務所にあるレッスン場に机をならべて、三つの島を30人ほどが囲んでいる。20歳前後の若い人から年配の人まで構成もさまざま。団の構成がそうなのだが、女性が多い。
 やがて隣室のドアが開いて、3人の女性がギターと紙に書いた三味線をかかえて登場した。
「♪粋で陽気なかしまし娘〜」
 初めて聴く、なんとソプラノのかしまし娘だ。やがてほかのメンバーも登場して日頃のレッスンでの笑い話などを簡単なコントで披露する。最後は一人ひとりのスピーチで締めくくる。
「今年48歳、まだこんなことやってます。来年もがんばります」
 ベースを歌う男性はこんなスピーチで笑わせた。
 替え歌を披露するグループや、即興の芸を披露するグループ、クイズをするグループ。それぞれに参加者を湧かせ、同じように一人ひとりスピーチをする。その合間には、テーブルでのスピーチも順に続く。全員が必ず何かスピーチをするのだ。
「来年の2月から、仕事をやめて団の専従をすることになりました」
「毎年これで終わりにしようと思いながら、もう3年もたってしまいました」
「演奏会の時は歌詞が覚えられなくて私、目がいいからピアノの楽譜を見ようと思ったけど見えなくて……」
 若い団員が湧かせている。そうかと思えば、飛び入りでビールを差し入れに来るおじさんもいた。
 こんな忘年会は何年ぶりだろうか。まったく同じスタイルは学生時代以来かもしれない。僕はとてもなつかしい気分になっていた。
 元来、人前で何かするとか隠し芸の類にうとい僕は、実はこうした宴会は苦手だ。そういえば勤めていた頃、何かの宴会で「若い者、歌え」と引っ張り出され、「高校三年生」を「リンゴの歌」の節で歌ってひんしゅくを買った。以来ますます宴会芸が嫌いになった。
 しかし、見ているだけなら楽しい。合唱団の人たちは、日頃人前で演奏をしたり太鼓を叩いたりしているセミプロだから、宴会芸といってもなかなかのものだし、何よりみんな陽気に楽しんでいるのがうらやましい。
 それに比べて僕らの忘年会ときたら、数人が集まって飲んで食ってグチをぶちまけてという、実に非生産的なスタイルなのだ。
「いいですねえ、こういう忘年会」
「そうですか。じゃ毎年来てください」
 そんな話をしながら隅っこで見ているうち、徹夜続きがたたって不覚にも寝てしまったようだ。終電車に乗り遅れるからと起こされ、二人の女性団員に送っていただいて三宮の駅へ。
「これ、忘れてはるでしょ」
「おお、カメラのバッグ! おおきに」
 ひょっとして写真を撮ることもあるか、あるいは最後の手段の口述筆記にと、カメラとカセットを持ってきていたのだ。切符を買ってホームに上がると、しばらくして看護婦をしている女性団員が上がってきた。
「どうしたんですか?」
「いや、大丈夫かと思って……」
 どうやらホームで寝てはいないかと心配されたようだ。まったく、よほど情けない状態になっていたようで、みなさんに迷惑をかけてしまった。そしてその心配は、見事なまでに的中してしまったのだ。
「大津、大津」
 えっ、大津? ありゃま乗り過ごした、と思ったところで電車が動き出した。記憶がないから、電車に乗ってすぐに寝てしまったようだ。京都で降りるはずが、通りすぎて大津なのだ。動き出したので、仕方がないから次の膳所で降りる。
「反対向きの電車ありますか?」
 改札で駅員さんに聞いたら、
「もう朝の5時までないよ」
 という。午前1時半頃になっていた。
「そうですか。仕方ないねえ」
 そのままスルーを通ろうとしたらバタンと閉まった。当たり前だ、乗り過ごしているのだから。
 駅を出てタクシーに乗った。もうこれしか方法がない。
「いやあ、寝過ごしちゃって、さっぱりですわ。また何かのネタになりますなあ。あっはっは」
「お客さん、面白いねえ。こんな場合、たいがいの人はしょげちゃってるけどねえ」
 運転手さんに、変なところで誉められた。京都・太秦までタクシー代約8000円。これだけあったらビジネスホテルに泊まれるなあ、と思ったものだ。
 こうしてその日は終わったが、結局主目的の原稿は少なかった。ついでに、おいてくるハズの書類まで持って帰ってきてしまった。まさに「ミイラ」そのものだ。
 翌日、荷物を整理していたら何かがポロッと落ちた。忘年会でのクリスマスプレゼントだった。

(記/1998.12.28)

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