[エッセー 1999.5]

小国文男

池辺晋一郎氏のサイン

 作曲家の池辺晋一郎氏といえば、僕にとっては超メジャーな人で、およそ言葉を交わす機会があるなどとは考えたこともなかった人だ。
 その池辺氏が、僕の隣であぐらをかいて、一所懸命カニをつついている。しかも、目の前の床の間に置かれたテレビには、録画で出演している池辺氏が映っている。
 居心地がいいような悪いような、不思議なひとときだ。というのも、もともと音楽にはうといので正直なところとりたててファンでもなく、だから「夢のような」という気分ではない。むしろ、池辺氏の作品をそう多くは知らないので、何か失礼があったらどないしようかと気が気でない、といった緊張感の方が強い。
 ところがこの人、これでもか、というほど駄洒落を連発する気さくな方。
「君、遠いよね。これもどう?」
 と、焼きガニをとっていただいたりすると、
「いや、どうも……」
 などと言うしかない。
 たまたまワインのことが話題になった。
「ソムリエの表現て面白いよね。田崎真也なんかさあ、『〜のような香り』とかって言うじゃない。いったいどんな香りなんだか、わかんないよねー」
「私、ワインの取材をすることがありまして、田崎さんの本も読みました」
「うん」
「ワインのこと全然知らなかったんですけど、その本でずいぶん安心したんですよ」
「うん、うん」
「とにかく自分がおいしかったらいい、楽しめたらいいんだよって、書いてらしたんですよね」
「うんそう。だから、どう楽しむか、だよね」
 池辺氏は実にさりげなく言ったのだが、僕はこのひとことに「あ、格が違うわ」と脱帽した。僕の中には、とにかくうまけりゃそれでよしという程度で、「どう」楽しむかという認識はなかったのだ。そこには簡単に安心などできない深みがありそうだ。
 今年の1月、兵庫県の北部但馬海岸、香住の民宿でのひとコマだった。
 ことの発端は去年の秋、本の編集の仕事でおつきあいをした神戸市役所センター合唱団にはじまる。この合唱団は作家の森村誠一氏や池辺氏による作品を多く歌ってきた。同合唱団の創立35周年と合わせて催されたの出版記念レセプションにも両氏の姿があった。
 もちろん同じ会場にいたというだけで、僕には声をかける機会も勇気もなかった。それどころか、二次会の帰りがけ、たまたま前を通った池辺氏ににらまれたような気がして、それが少し気になってさえいた。
 その合唱団から、香住の民宿にカニを食べに行かないかと誘われた。数年来、季節には有志で行っているらしく、しかも池辺氏も参加するという。特に断る理由もないし、仕事が終わってしばらくぶりにみなさんの顔も見たかったので、出版社の担当者と共に出かけることにした。合唱団関係者に池辺氏、僕らを入れて総勢10人の一行だった。
 カニをたらふく食べたあとは、部屋に帰ってみんなでこたつを囲む。せっかくだからと、仕事で作った本に池辺氏のサインをいただいた。もちろんその本には池辺氏も登場しているのだ。
 参加者の一人が、何枚もの色紙を取り出した。いろいろと頼まれてきたらしい。
 と、池辺氏は色紙にむかって、やおら数本の線を書いた。見るとそれが池辺氏の頭の雰囲気に実に似ている。失礼ながら少々後退した額に、前の方の髪の毛を、いわゆるすだれ状に貼り付けている。ひょっとしたらこれが池辺氏のトレードマークかと勝手に解釈し、酒の勢いも手伝って僕は聞いてしまった。

「それ、髪の毛ですか?」

 すさかず池辺氏は「なに!?」とばかりに僕をにらんで、不機嫌に言った。

「五線だよ」
「……」

 聞けばそれは、現在音楽を担当しているNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」のテーマの冒頭の一節だという。
 もう僕は顔面蒼白だ。「アチャー!」と思うばかりで、はっきり言ってフォローのしようがなく、次の句が出ない。ついに、恐れていた失態をしでかしてしまった。
 ところが池辺氏、僕をにらんだけれども、ほんのしばらくじっと見ただけで笑っていた(ように見えた)。
 というのも僕は、池辺氏に負けず劣らずハゲているのだ。そのおかげかどうかは定かでないが、その後も何のおとがめもなかった。
 ああ、ハゲててよかった――。
 僕はこの時ほど、自分のハゲを喜んだことはなかった。

(記/1999.5.10)

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