[エッセー 1999.10]

小国文男

五条坂

 ここは京都・五条坂。夏には陶器市でにぎわうところだ。
 東大路五条交差点のちょっと西に若宮八幡宮なる神社がある。陶器市はここのお祭りで、陶器神社とも呼ばれているとは、恥ずかしながら仕事で取材することになって初めて知ったことだった。円山公園駐車場に車を置いて、そこからテクテク歩いて8軒目の取材先だった。
 取材といっても、写真を撮って縁起など書いた案内パンフなどをもらう程度のことで、とにかく時間に追われていた。このあとも3軒回らねばならない。日が傾けば写真を撮るのがつらくなる。まずは境内をひとまわりし、何を取材すべきかを確認していたら、人の気配がした。石段下におばあさんが立っている。
「どうぞ、ごゆっくりしていってくださいね」
 ちょうど社務所に行かねばと思っていたところだった。
「あの、お願いがあるのですが、奥さんにお話ししてもよろしいでしょうか?」
 ご主人か息子さんの宮司さんに取り次いでもらおうと思って声をかけた。
「どうぞどうぞ。私でわかることでしたら」
 大丈夫かな、と頭によぎったが、では、と取材の趣旨を説明し、話に入る。
「こちらは陶器神社と呼ばれているそうですねえ」
「いえいえ、ご祭神は若宮さんなんですよ。陶祖神はあとからまつったんです」
 いきなりジャブがきた。
「陶祖神のシイネツヒコノミコトは、神武天皇の頃のお方で……」
「は? シイ……。えらく昔の話ですね」
 ごまかしつつも、繰り返せない名前。むむむ、話についていけないゾ。
 聞けばご主人の宮司さんは亡くなったそうで、どうやら神社はこのおばあさんが切り盛りしている様子。当たり前だが、おばあさんは神社の由来に詳しかった。
「陶祖神といってもよくわからないでしょ。それでこちらに、ずっと時代が下った仁清や乾山、木米さんをまつったんですよ」
 社務所のすぐ前に小さな祠。現在の清水焼の基礎をつくった野々村仁清、緒形乾山、青木木米が祭神としてまつられる末社があった。
 さらに、撮影のためになんと本殿の中にまで入れていただいたり、なにかと親切に教えていただいた。途中、どやどやと入ってきた観光客にも「はいはい」と快く応対し、僕が資料など頼めばこれまた快く探し出してきていただいた。その上に、最後はおみやげまで。
 まったく、大丈夫でないのは僕の方だった。

(記/1999.10.22)

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