[エッセー 1997.8]

小国文男

言い切る人

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小国文男 フリーライター&エディター
う〜ん、年々顔の面積が広くなる……。
(1997/7/27大阪で)

 仕事で取材に行くことがよくあるが、いつまでたっても僕はこの「取材」というやつが苦手で仕方がない。
 だいたいまずアポとり、つまり電話などで連絡をとって取材のお願いをするのにかなりの決意がいる。仕事の依頼主からあらかじめ連絡がされていて、相手が取材に応じてくれることがわかっている場合でさえそうなのだ。だから僕は、アポがとれたら仕事の八割くらいが終わったような気分になる。
 さらにやっかいなのは、イベントなどで参加者の声を集めるような、無差別インタビューというやつ。なかなか声がかけられなくて、僕はボケーッと見ているだけということが多い。阪神大震災の取材に行ったときなど、非難所で生活している人たちを前にして僕は、ボランティアの餅つきを手伝ったり、畳を運んだりすることしかできなかった。
 こんな僕だが、そのくせ取材での出会いはけっこうおもしろいと思っているから変な人間だ。そして、取材から帰ってテープを聞いたりメモを見たり、記憶をたどったりしながら原稿を書くのだが、そんなときに感じることが二つある。
 ひとつは、取材が終わってお互いにホッとしたその後に、とても印象に残る話が飛び出すことが少なくないことだ。
「呆け老人をかかえる家族の会」の役員氏を取材した時のことだ。1時間ほど会の歴史や活動内容などの話を聞いた。「ありがとうございました」とテープを止め立ち上がろうとしたとき、その役員氏がポツリとひとこと。
「いやあ、相手も同じだと思うとですね、つらい話も笑い話になるんですよ」
 いわゆるボケ老人を介護している同じ立場の人だと、同じような場面の話が飛び出して、「次はこうなるでしょ」「そうそう」などと、思わず笑ってしまうというのだ。様子が目に浮かぶようで今でも心に残っている。そしてその言葉を僕は、記事の大見出しに使った。
 もうひとつ、ハッキリ言い切る人の話はおもしろいということだ。原稿にまとめていても、小気味よくて気持ちがいい。
 ある教育関係の雑誌の対談で、最初のゲストは団塊の世代の狂言師だった。読者には教師も多い。話が始まって、いきなり「私、学校がきらいなんですわ」ときた。これまた僕は、大見出しに使った。
 同じ対談での動物園の飼育係氏もそうだった。「は虫類を冷血動物というのは間違いよ。変温動物というのが正しい」、「猿回しなんかも動物虐待なんていうのはおかしい。あれは文化」などなど、ちょうど正月で少し入っていたアルコールも手伝って、ポンポンと興味深い話が飛び出した。
 別の雑誌の仕事で取材した、そば屋の店主の手打ちそば論もおもしろかった。実は僕は、取材前にその店でそばを食べてみていた。手打ちそばというと黒っぽくて太さも不揃いで、いかにも手作りという印象をもっていた僕には、そこのそばが美しすぎて、にわかに手打ちとは信じられなかった。
 取材で話を聞いていると、繰り返し繰り返し稽古をして、そば打ちの技術を磨いているから太さの揃ったそばが打てるという。また揃っていないとゆで加減にもムラが出るという。すると僕がイメージしていた手打ちそばは下手なのかと尋ねると、店主氏はすかさず「ええ、下手です」。
 取材の入り口でウジウジしている僕は、こんな風に言い切れる人がうらやましい。書いている原稿も、「〜と思われる」とか「〜と言われている」とか「〜のようだ」とか、語尾をあいまいにしてしまうことが多い。まだまだ修行が足りない。
 ん? 待てよ。よく考えてみたら僕にもひとつ、取材先で言い切っていたことがあった。
「私、取材が下手なんです」

※この小文は、1997年8月発行の「Aisian Press」(エイジアンの会事務局編集部発行)に寄稿したものです。

(記/1997.8)

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