[ひとりごと(1999.10.24)]

断った仕事

 せっかく来た仕事を断るなどというぜいたくなことはとてもする余裕がないので、僕はこれまでよほど物理的、時間的に無理な場合を除いて、ほとんど仕事を断ったことはなかったし、それを方針にしている。しかしつい最近、初めて「イヤだから」という理由でひとつの仕事を断った。
 そのクライアントからは1年ぶりの仕事だった。不動産関係の約款のようなものの組版だと電話で聞き、打ち合わせに出かけた。
「これなんですが」
「あ、○○○○さんですね」
「ご存知ですか?」
「ええ、よく……」
 示された原稿に書かれている会社名を見て、僕には鮮やかによみがえるものがあった。

 もう8〜9年くらい前になるだろうか。以前僕が住んでいた賃貸マンションは丸ごと売りに出て、家主が変わった。しばらくすると駐車場を閉鎖する旨の通知が来て、僕らは駐車場探しに奔走した。半年くらいしてその駐車場で分譲マンションの建設工事が始まり、相前後して約2万円の家賃値上げ通知が来た。いやなら出て行けといわんばかりだ。
 それまで我慢していたが、ここに至って弁護士に相談し、力を合わせて何とかしませんかと見ず知らずの各所帯をまわった。するとみなさん同じ考えで、弁護士を呼んでいっしょに借家法などを学習したり対策をねったり、内容証明郵便で回答したりと、マンションは家賃騒動で一気に盛り上がった。そして、家主側が開いた説明会などでも納得できず、家賃の供託が始まった。どれもこれも初めての体験だった。
 1年ほどたって、家主側は僕ら数軒を相手に、裁判に訴えてきた。値上げのことだから僕らは訴える必要はなく訴えられる側、つまり被告だ。不動産鑑定士の鑑定は、当初家主が示した額の半分ほどだった。家主側は当初の額では争えないと思ったのか、すかさず訴状の趣旨をその額に訂正してきた。
 裁判所は和解を斡旋したが、不調に終わった。再開された裁判で、僕は証言台にも立った。それまで書面のやりとりだけの、傍聴していても何をやっているのかわからないようなものが一変、証人尋問はまさにテレビで見る法廷の様子そのもので、驚いたり感動したりしたものだった。
 判決までに2年近くの歳月を費やし、結局最初の提示額の半額となる鑑定額を家賃とする判決が出た。家主側が訴状を訂正しているので形の上では訴状通りの判決、僕らの敗訴だ。しかし内容的には引き分け。家主の思惑どおりにはさせなかったという点では、僕らは勝ったといってもよかった。
 またそれ以上に、同じマンションに住んでいながらそれまで言葉も交わしたことがなかった人たちと知り合いになれたことは大きな副産物だった。元校長先生に映画監督、傘卸のご主人やスナックのママ、同年代のバイク屋さんとか、いろんな人がいた。今でもつきあいが続いているが、これだけは「家賃値上げ騒動のおかげ」と笑いあっている。

 ところで、その裁判は家賃を争った全所帯ではなく、そのうちの一部を対象にしたものだった。そこで、対象外だったところも判決に準じるということを確認した。ところが、ここでひと悶着があった。
 というのも、裁判の対象外だったところは、実は値上げの時期が違い、数か月後にずれていた。それは、まだもめていた頃の説明会で、値上げ時期は契約更新の時期に合わせると確認され、その旨の書面も交付されてのことだった。だからそれらの所帯は、僕ら被告よりも数か月後から判決の額にされてしかるべきだった。もちろん皆そうなるものと思っていた。
 それなのに、全部の値上げ時期を一律にするという。それはおかしい、書面もある、とくい下がったが、弁護士を通じて伝えられた家主側の社長の言葉は「そんなことをするハズがない」というものだった。
「なんですって!」
 僕は電話口で思わず声をあげた。
「それがいやならまた裁判だと言っているそうです」
 弁護士は電話の向こうでこう言ったのだ。
 裁判したら勝つがな、と思ったものの、それまで約3年ほどの交渉と裁判をへて関係者はみな疲れていたことや、「弁護士間の確認」がすでになされているので弁護士が弁護士費用でその差額を考慮すると申し出たことなどにより、これ以上決着を長引かせても不利益、と涙をのんだのだった。
 それにしても僕は、この期におよんでまったく白を黒といい、さらに再び裁判をちらつかせれば折れるだろうという家主側の社長の姿勢が腹に据えかねて、今でも耳に残っている。本当は、「こちらには明確な証拠がありますから裁判すればお宅が負けますが、それでもよかったらどうぞ訴えてください」とぶちかましたかったのだが……。

 仕事の打ち合わせで目の前に示されたのは、まさにその家主の会社の名前だったのだ。すでにそのマンションからは引っ越しているものの、上記のようないきさつにより、僕にはどうしても「仕事だから」と割り切れなかった。簡潔に事情を説明すると、クライアントは理解してくれて、この仕事は別にまわすことになった。
 もっともこれで、今後もそこから仕事が来るかどうかはわからない。ま、いいか……。

(記/1999.10.24)


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