[えでぃっとはうすのときど記]

台風23号の爪あと

 金曜日から3日間、台風23号被災の丹後に帰省していた。市内のほとんどが冠水した兵庫県豊岡市はとなり町だし、冠水したバスの屋根からの救助が何度も放映された舞鶴市の現場付近はかつての帰省コースに近い。予定より早めに出発したが、帰り道は初めて目にする被害の連続で、いつもの倍の時間がかかった。

 まずは福知山で渋滞につかまった。普段なら15分で抜ける市街地に1時間半を費やした。やっと抜けていつもの但東町経由の道に向かうと通行止め。仕方がないから引き返し、由良川沿いの175号に向かう。川の流れからは数百メートル離れているのに、一見して冠水跡とわかる泥が道路端に積もっている。道路脇の家は床上浸水した模様で、どこでも後始末の姿が見られた。

 加悦町に抜ける176号に入る。道路上は除去してあるものの、あちこちで土砂崩れがある。与謝峠のトンネルを抜けて下り始めると、片側車線が陥没して崩れていた。次のトンネルでは、入口脇の山が崩れて土砂や木がトンネル内に入り片側車線を塞いでいた。峠をおりると、川が溢れて田畑を流れた跡が生々しい。

 川の上流でもこれだけ被害があるとなると、わが家の被害が心配になる。先日の台風21号の時も、わが家はあわや床下浸水というところだった。23号は規模も被害もそれより大きい。しかも、台風当日の実家は無人だったのだ。加えて築100年はあろうかという古い家。21号で屋根が少し損傷しているので、それが拡大しているかもしれない。
 与謝から丹後に入り、実家に近づくにつれ、少なくとも床下浸水を覚悟した。そうだとするとわが家では30年ぶりくらいの出来事になる。

 家の近所まで帰り着き、川をわたって驚いた。橋のたもとの土手の両側が大きくえぐられていた。こんなことは、河川改修前の古い川も含めて見たことがなかった。復旧の重機がせっせと作業をしていた。
 心配のわが家はどうか。家の周りをチェック。変わりない。中に足を踏み入れた。真っ先に土間を見る。浸水した跡はない。多少の吹き込みがあったようだが、ほとんど無傷だ。ラッキーだ。
 家の前と裏を流れる小川の上流の引き込み口を見に行くと、閉じてあった。ありがたい。加えて、裏山がちょうど風の壁になったのかもしれない。

 町内では、若い駐在さんが増水した川に流されて亡くなった。知人宅も含め数百軒が床上または床下浸水したという。
 また帰りは福知山の渋滞を避けるために綾部宮津道にまわったが、そのとき通った宮津市では、被災者とともに床上浸水の後かたづけをするボランティアの人たちの姿が目についた。
 なんだか申し訳ないような気分になった。

(記:2004/10/24)



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